演習

繰り返し暮らしクラブ

功罪

歳をとると無意識のうちに考え事をしながら歩みを進めるようになる。先日、停車中の電車に乗り込んだ時、もうすでに発車のベルは鳴り止んでいたらしい。閉まる扉に自分の背負っていたリュックが挟まれてしまった。いわゆる駆け込み乗車を駆け込まずにやってしまった典型的な例だ。前を向いて歩いていたのに視界に入れている状況を頭の中で処理できていないのだから、駅のフォームでスマートフォンを操作しながら下向きで歩む若者よりも世界を、自分を制御できないのだからタチが悪い。いやしかし。その時の自分は何に引っ張られていたのか。数十分前までの仕事の情景か、帰って良いかのどうか少し迷う状況でも帰路に立ってしまったことへの言い訳か。引っ張られるものに抗うように歩みを進めるとだいたいこうなるものなのですよ、と中国三千年の歴史が証明しているし、田舎の住宅街にひっそりと佇み人間の承認欲求の醜さを体現するかのような、変てこなレタリックで記載された世界人類が平和でありますようにと記載された白い木の柱を設置し続けるおじさんが唱える「世界人類が平和でありますように」。だいたい後一時間作業を進めてできることなら明日朝イチでやりますとか言うけれど、一時間やって終わらせられることならばさっさと今日終わらせて帰りなさいよ家に帰ってもどうせ寝るだけなんでしょ?今日の無様な貴方に静かに枕を高くして寝る権利はあるのかしら?と私に張り付く糸を握るその手の持ち主が汗に塗れた後頭部あたりのウヨウヨしたまどろっこしい空間を目掛けて抑揚のない声で放つかのような「駆け込み乗車は乗っておられますお客様の迷惑になりますので絶対におやめください」のアナウンス。あら・・・ご存知なくて?私は寝相が悪いからベッドに入って30分後には頭から枕は外れてしまっています。と言う的外れの反論。この緑の電車がぐるぐると周り巡っているようにきっと私は明日も会社で働いているだろう。だからこそ問う。私に張り付く糸の持ち主は何処にいるのですか?そしてこの糸の張力は何らかのエネルギーとして変換されているのでしょうか?電車内のモニタでは合成着色料がたっぷりと塗りたくられた二匹のクマが結束して多くの人間たちの無力さ嘲笑いながら終幕までのステップを踏む。電力自由化。キミは自由か。